🗐 親玉諒のてがろぐ - Fumy Otegaru Memo Logger -

チラシの裏日記。支離滅裂な文章を愚鈍な語彙で書き連ねる。

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No.54, No.53, No.52, No.51, No.50, No.49, No.487件]

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勉強は大切なことだが、しかし、不幸にもそれに気付かされるのは大人になってからだ。あの時ああしておけばよかった。この時こうしておけばよかった。その時そうしておけばよかった。どの時どうしておけばよかった…。少し考えるだけでも沢山思い浮かんでくる。とはいっても、今にして思えば不要な教科もあったよな…とも考える。道徳だ。このような行いは人倫にもとるので止めましょう。他人を思いやりましょう。動物を慈しみましょう。などなど…。ごく当たり前のことを1時間も割いて学習する。果たして、この時間には意味があるのだろうか?4年前の夏に福岡県の商業施設で若い女性が刺殺された。その犯人が15歳の中学3年生ということで騒ぎになった。しかも、虞犯少年として少年院に収容され、退院してからわずか数日経ってからの犯行だ。生来的に粗暴な性癖で、それに劣悪な家庭環境が増幅させたのか人に当たったり物に当たったりとても手の付けられない少年だったという。少年院では自身の過去の行いを悔い改めさせる(要は保護処分)プログラムが組まれているはずなのだが、それにもかかわらず再犯する少年は3〜4割もいるという。この少年もその1人(正しくは虞犯だから再犯とは言えないが)である。もともとそのような性癖の人間を真っ当にすることなど出来るものなのだろうか。彼は懲役刑に処されたが、出所してからは一体どうするつもりなのだろうか。彼の犯行のトリガーになったのは、彼の母親が退院後の身元引受を拒否したのが原因だったのだが、ならば、刑務所から出た後に一体どうするのか?ということになる。身元引受人などいるのか?いないとするならば、満期出所になるわけだが、そうすると保護観察を受けることが出来ない。つまり、逮捕前の現代に歳を重ねて戻ってきただけということになる。そうなると、「もう殺戮マシーンになるしかない…」と彼自身は思うのではないか?刑務所は罪人を閉じ込めて労役や禁錮を受けさせる場所だが、来年からはそれらを拘禁刑に一本化し、受刑者をさん付けに改め、依存症者への教育も一層力を入れるという。彼も「人を殺めてはいけませんよ。」「そんな事をしたら周りの人が悲しみますよ。」という教育をいま少年刑務所で受けているのかどうか定かではないが、出所してから更生できるとは到底思えない。彼自身、裁判で「クズはクズのまま変われない。」と発言しているのだから、尚更そう思うわけだ。人も動物も誰しも分娩された瞬間に「産まれてきてくれてありがとう。おめでとう。」と祝福されるのが当然というか、自分の中ではそうであってほしいと思うが、実際は母親が産まれてきた子供を産み落として放置する(保護責任者遺棄)(死体遺棄)、殺める。そんなことが頻繁に起こっている。その中には風俗、パパ活、近親姦などの望まれない妊娠も数え切れないほどあるのだろう。だが、たとえ倫理的には望まれない事だったとしても、体内に宿した赤ちゃんにはせめて「産むことができなくてごめんね。育てられなくてごめんね。」と思っていてほしい。それはこれからの人生を歩むうえでも抱いていてほしい。妊娠を望んでいても不妊治療がなかなか上手くいかない夫婦は大勢いる。そういった人達のことも考えて、子供が出来るようなことは2度としないでほしいと願う。話が外れてしまったが、少年には出所してから出来る限り真っ当な人生を歩んでいってくれることを願う。難しいとは思うが、そうなれるような環境が整ってくれることを願う。ただ、殺しはもう止めてくれ。
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居酒屋やファミレスで飲むお酒は美味い。たとえ、その人たちと喋ることがなかったとしても、何ともいえぬ謎の一体感のようなものが湧き出してくる。一体なぜだろう?1人で飲むのも良いが、時々は赤の他人と飲んで一体感を得たいと思ってしまう。不思議なことに。そして、先日受けた腹部超音波検査で中等度の脂肪肝を指摘されてしまった。お酒を自重するのはとても辛いが、そうする他にない。
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ようやく春がやって来た。やって来たというより、まるで初夏のような日和だ…。朝が多少寒かったので、そこそこの厚着をしてきたが、暑くて暑くて汗がだらだら出る。仕方がないので服を脱ぐ。パークウインズへ行って徹底的に負けた。実に馬鹿だ。馬も鹿も可愛いのに、馬鹿だ。騎手も競走馬も頑張っているのに、己はあまりにも怠惰だ。真っ当に働くという事も考えず、賭け事で一発逆転を狙う浅薄な人間だ。だが、そんな自分をいつか良いと思えるようになりたい。そのために、これからどう生きていけば良いかを考えたい。内省あるのみだ。
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自分は春が嫌いだ。暖かいのは良いのだが、とにかく花粉が飛散することがとても嫌である。昔ほどではないが、それでも花粉症の症状が出て、時折目が痒くなったり、くしゃみが止まらなくなったりする。一番嫌なのが、春の嵐である。外に出るのが億劫になる。こんなものに晒されていると、もれなく服や靴の中がぐしょぐしょになってしまう。帰宅後に靴を脱ぐととんでもない悪臭に見舞われる。そういう時は足だけでも洗わなければならない。これはこれで億劫だ。春の嵐は桜をことごとく散らしていく。春将軍は桜が嫌いなのだろうか?
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あんまり賢くない話をしたい。何々だと死亡率が上がるだとかよくいうが、例えば、「血液型がAB型だとO型と比べて何とかパーセント高い。」とか、不倫をしている人はそうでない人に比べて短命だとか、痩せ型の人は標準体重の人よりも短命。とか、まあ、ネットに転がっているちょっとピリリとした山椒のようなネタなんだけど、因果ではないから、あくまでもそういう傾向がちょっとありますね。くらいのものでしかないという。だが、高身長の人は短命である。というのは個人的に言っておおいに有り得るのではと思っている。犬なんかそうじゃないか?セントバーナードのような大型犬は小型犬よりも寿命が短めでしょ?柴犬のかぼすちゃんなんか今18歳!だし、尾道のドビンちゃんも18歳まで生きたしね。自分は頭が悪いからそういう中身のことまでは突っ込んで説明できないが、スポーツなんかでもフルコンタクト系の選手や格闘家の人達って長生きのイメージがあまり無いよな。ライト級よりもヘビー級の人とか60〜70くらいで亡くなっちゃうでしょ?お相撲さんとかラグビー選手なんかさ。実際に結構そうじゃないか?でも、本人が幸せならそれでも良いじゃん。と思うわけです。
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自分にはなかなか他人には言えない悩み事がある。仮に、その事を伝えたとすると、その内容が勝手にひとり歩きをして、自分は何も悪い行いをしていないのにも関わらず前科持ちとほぼ同等の扱いを受ける。今まで勇気を出して打ち明けた途端に相手は冷酷な態度になっていった。多分、これから先もそうなっていくんだろう。そして、仕事の面接はことごとく不採用になる。これから先はどうやって生きて行けばいいのか?糊口を凌ぐ程度でも良いから食い扶持を稼ぎたいが、自分がこんな体たらくだから、それすらも一切許されないというのか?子供のころ、大人になったらどうなっているのだろう?と胸を膨らませていた。その時の自分はまだ希望に満ちあふれていた。しかし、現状はどうだ?もう、いっその事この際言ってしまおう。現在は統合失調症とてんかんであると診断を受けているが、20年ほど前までは精神分裂病というインパクトのある病名だった。そして、現在の自分は成年被後見人にはあたらないが、例えば、それはかつては禁治産者と呼ばれていたもので、要は、何も生み出せない者、というような解釈のできる単語であろうか?精神疾患に罹患しているというだけで何の生産性も持ち合わせていないと判断されるのがどれほど辛いことであるのか、それによって、言わなくても解ると思うが、いつ自分がツィクロンBを充満させたような部屋に連れて行かれるのではないか?という恐怖に常に怯えながら生活していくことがどれだけ苦痛であるのか、他人が障害者に対して悪口や罵詈雑言を言い放っている事について、時には強烈な恐怖と不安に襲われることがある。決して障害者だからといって甘えさせてほしい、と言っている訳では無い。精神疾患について画一的な特性がある訳ではなく、人によって症状も違えば、それについても軽重があり、措置入院が必要な程に自傷他害の酷い重症な人もいれば、月に数回程度の通院と服薬で症状はほとんど落ち着いている(寛解)人もいるのだ。という事を健常者の方々には頭の片隅にだけでもいいので知って頂きたいという思いを強く持っている。己はただ、静かに生きていたいだけなのに、何故このような仕打ちを受けなければならないんだ?と思うととても惨めで将来にはとても希望を見出すことが出来ない。その為に今までお酒やギャンブルに逃げていたけれど、それでは良くない!と考えるようになり、最近は自分のペースで刹那的で唯物的で享楽的な行いを自重するようにしている。それと、毎日日記を書くようになった。そうする事で、今までの生活習慣の乱れや自分自身の長所や短所を客観的に見つめ直す、自省する機会が増え、様々な事に慎重になるようにはなったと考える。これからどうなっていくのか不安で仕方ないが、それでいつまでも腐っていてはしょうがないので、出来る範囲でコツコツとなるべくは前向きに課題へ取り組んでいきたい。そうして、10年後くらいの自分に対して「これで良いんじゃないの?」と言うことが出来るようになったら良いなと思う。
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二十歳の頃の自分が今の自分をみる。「こうはなりたくないな」と言った。四十路くらいの自分を今みてみる。「それでいいんじゃない?」と言えるようになりたい。

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2024年7月19日(金) 21時39分13秒〔50日前〕