🗐 親玉諒のてがろぐ - Fumy Otegaru Memo Logger -

チラシの裏日記

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今日で4月ももう終わりだ。あと少しで梅雨の季節に入る。とても憂鬱だ。梅雨のあとには、常夏が待っている。なおさら憂鬱になる。最近は不摂生ばかりしているから、このままだと夏を乗り切れないんじゃないかと思えてくる。そして、ジメジメとした暑い時期になると食中毒が怖い。カレーやシチューのようなドロッとしたものを作ることが出来ない。味噌汁のようなスープ系も怖い。o-157とか、サルモネラとか、カンピロバクターとか、罹ると怖い感染症ばかりだ。もちろんノロウイルスにも罹りたくない。インフルエンザも嫌だ。そういう意味では冬もあまり好きとは言い難いな。自分は12月生まれなので、冬が来るとまたあの世に1歩近づいたな。なんてことを考える。梅雨になると枇杷の季節だ。結構好きなんだよな。素朴な甘みが気に入っている。あと柿も好きだ。これも同じ理由。干し柿にするのも良いし、ドロドロになるまで熟させてからいただくのも良い。梅雨になると蕗の季節だ。皮むきが若干面倒ではあるけど、煮物にすると美味しいのはいうまでもない。でも、沢山の束だと思っていても、煮てしまうと小さくなるのがなんだか悲しい。もっとたくさん食べさせてくれよ!と思う。(これを読んでいるかは判らないが)皆さんはパクチーについてどうお考えでしょうか?自分はほとんど食べられない人間です。葉っぱ丸ごと食べようものなら吐いてしまいそうになる。まさに天然の催吐剤といえる。前に行ったロックフェスのフードコートで食べた担々麺に味付け程度に入っていたやつは食べられたけど、葉っぱは本当に無理だ。あんなモノをてんこ盛りのサラダにして食べている人はどうかしていると思ってしまう。逆に、アブラナ科の野菜は大好きだ。ブロッコリーやキャベツを苦いからと敬遠する人がいるらしい。日高屋で唐揚げ定食の千切りキャベツを残している人がいて勿体ないなあと思ったりした。自分は一度も苦いと感じたことがない。何なら、ほんのりと甘みを感じるくらい。パクチー然り、アブラナ科然り、味の感じ方は遺伝で決まっているんだと知った。アブラナ科は俗にいうフェルニチオカルバミドだな。学校で試験紙を舐めたことがある人もいると思うが、自分は苦味を全く感じない。だからかどうかは不明だけど、食べ物の好き嫌いは少ないほうだと思われる。それはとても良いことだ!と思いながら普段から食事をしているのだった。好き嫌いはなるべく少ないほうがいいですからね。
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自分にはなかなか他人には言えない悩み事がある。仮に、その事を伝えたとすると、その内容が勝手にひとり歩きをして、自分は何も悪い行いをしていないのにも関わらず前科持ちとほぼ同等の扱いを受ける。今まで勇気を出して打ち明けた途端に相手は冷酷な態度になっていった。多分、これから先もそうなっていくんだろう。そして、仕事の面接はことごとく不採用になる。これから先はどうやって生きて行けばいいのか?糊口を凌ぐ程度でも良いから食い扶持を稼ぎたいが、自分がこんな体たらくだから、それすらも一切許されないというのか?子供のころ、大人になったらどうなっているのだろう?と胸を膨らませていた。その時の自分はまだ希望に満ちあふれていた。しかし、現状はどうだ?もう、いっその事この際言ってしまおう。現在は統合失調症とてんかんであると診断を受けているが、20年ほど前までは精神分裂病というインパクトのある病名だった。そして、現在の自分は成年被後見人にはあたらないが、例えば、それはかつては禁治産者と呼ばれていたもので、要は、何も生み出せない者、というような解釈のできる単語であろうか?精神疾患に罹患しているというだけで何の生産性も持ち合わせていないと判断されるのがどれほど辛いことであるのか、それによって、言わなくても解ると思うが、いつ自分がツィクロンBを充満させたような部屋に連れて行かれるのではないか?という恐怖に常に怯えながら生活していくことがどれだけ苦痛であるのか、他人が障害者に対して悪口や罵詈雑言を言い放っている事について、時には強烈な恐怖と不安に襲われることがある。決して障害者だからといって甘えさせてほしい、と言っている訳では無い。精神疾患について画一的な特性がある訳ではなく、人によって症状も違えば、それについても軽重があり、措置入院が必要な程に自傷他害の酷い重症な人もいれば、月に数回程度の通院と服薬で症状はほとんど落ち着いている(寛解)人もいるのだ。という事を健常者の方々には頭の片隅にだけでもいいので知って頂きたいという思いを強く持っている。己はただ、静かに生きていたいだけなのに、何故このような仕打ちを受けなければならないんだ?と思うととても惨めで将来にはとても希望を見出すことが出来ない。その為に今までお酒やギャンブルに逃げていたけれど、それでは良くない!と考えるようになり、最近は自分のペースで刹那的で唯物的で享楽的な行いを自重するようにしている。それと、毎日日記を書くようになった。そうする事で、今までの生活習慣の乱れや自分自身の長所や短所を客観的に見つめ直す、自省する機会が増え、様々な事に慎重になるようにはなったと考える。これからどうなっていくのか不安で仕方ないが、それでいつまでも腐っていてはしょうがないので、出来る範囲でコツコツとなるべくは前向きに課題へ取り組んでいきたい。そうして、10年後くらいの自分に対して「これで良いんじゃないの?」と言うことが出来るようになったら良いなと思う。

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2024年5月6日(月) 12時50分00秒〔11日前〕