No.49 (ランダム表示)
自分にはなかなか他人には言えない悩み事がある。仮に、その事を伝えたとすると、その内容が勝手にひとり歩きをして、自分は何も悪い行いをしていないのにも関わらず前科持ちとほぼ同等の扱いを受ける。今まで勇気を出して打ち明けた途端に相手は冷酷な態度になっていった。多分、これから先もそうなっていくんだろう。そして、仕事の面接はことごとく不採用になる。これから先はどうやって生きて行けばいいのか?糊口を凌ぐ程度でも良いから食い扶持を稼ぎたいが、自分がこんな体たらくだから、それすらも一切許されないというのか?子供のころ、大人になったらどうなっているのだろう?と胸を膨らませていた。その時の自分はまだ希望に満ちあふれていた。しかし、現状はどうだ?もう、いっその事この際言ってしまおう。現在は統合失調症とてんかんであると診断を受けているが、20年ほど前までは精神分裂病というインパクトのある病名だった。そして、現在の自分は成年被後見人にはあたらないが、例えば、それはかつては禁治産者と呼ばれていたもので、要は、何も生み出せない者、というような解釈のできる単語であろうか?精神疾患に罹患しているというだけで何の生産性も持ち合わせていないと判断されるのがどれほど辛いことであるのか、それによって、言わなくても解ると思うが、いつ自分がツィクロンBを充満させたような部屋に連れて行かれるのではないか?という恐怖に常に怯えながら生活していくことがどれだけ苦痛であるのか、他人が障害者に対して悪口や罵詈雑言を言い放っている事について、時には強烈な恐怖と不安に襲われることがある。決して障害者だからといって甘えさせてほしい、と言っている訳では無い。精神疾患について画一的な特性がある訳ではなく、人によって症状も違えば、それについても軽重があり、措置入院が必要な程に自傷他害の酷い重症な人もいれば、月に数回程度の通院と服薬で症状はほとんど落ち着いている(寛解)人もいるのだ。という事を健常者の方々には頭の片隅にだけでもいいので知って頂きたいという思いを強く持っている。己はただ、静かに生きていたいだけなのに、何故このような仕打ちを受けなければならないんだ?と思うととても惨めで将来にはとても希望を見出すことが出来ない。その為に今までお酒やギャンブルに逃げていたけれど、それでは良くない!と考えるようになり、最近は自分のペースで刹那的で唯物的で享楽的な行いを自重するようにしている。それと、毎日日記を書くようになった。そうする事で、今までの生活習慣の乱れや自分自身の長所や短所を客観的に見つめ直す、自省する機会が増え、様々な事に慎重になるようにはなったと考える。これからどうなっていくのか不安で仕方ないが、それでいつまでも腐っていてはしょうがないので、出来る範囲でコツコツとなるべくは前向きに課題へ取り組んでいきたい。そうして、10年後くらいの自分に対して「これで良いんじゃないの?」と言うことが出来るようになったら良いなと思う。
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